中国書画名品展−虚谷・任頤を中心とした海上派の鬼才たち−開催にあたり
この「中国書画名品展」では、清朝末期、めざましい繁栄を遂げる上海、当時の文墨界にあって滬上(上海)を拠点に芸術活動を展開した、いわゆる「海上派」といわれる文人たちを中心に展観いたします。
展示作品は、34作家、全84点です。形体的には軸装、巻子など41点と、摺扇36点、扇7点。摺扇と扇併せて展示数の約半数を占めているという点が、この展観の大きな特色となっています。展示内容は、書は楊・徐三庚・呉大澂ほか26点。画は虚谷・任頤・任薫ほか58点。画の展示数が特に多いのも今回の特色の1つです。本企画の中心となる虚谷の作品は12点、任頤は9点が展観されます。その二家について簡略に記しておきます。
虚谷(1821〜1896)は、姓は朱、名は虚白。号の虚谷で有名です。太平天国の乱で清軍に属して活躍しましたが、後に心に感じるところあって出家し僧侶となり、詩・書・画・に通じました。安徽歙県の人ですが、揚州に住み、上海に遊行するたびに盛名のあった徐三庚・任頤・胡遠・呉昌碩らと親交を結び、ともに上海で名声を博したと伝えられています。その画は淡墨を基調にした個性的な色調で山水・花卉・蔬果・禽虫を描き、書もまた風趣に富み独創的です。
任頤(1840〜1896)は、アヘン戦争が起こった年に生まれ、日清戦争が起こった翌々年、57歳で他界しました。名は頤、初名は潤。あざなの伯年で最も有名です。浙江山陰(現在の紹興)の生まれで、花卉・鳥獣に奇趣のある画を、人物画においては気象に満ちた風格の高い作品を残しています。手ほどきを受けていたとみられる父親を早くに亡くしましたが、幼い頃、父の友人であったと思われる任熊に早くもその画才を認められています。任頤が上海に移り住んだ時期は明確にはわかりませんが、任頤の師の任熊、その弟の任薫とともに画名が高く、「三任」と謳われていたようです。また呉昌碩との交流が深かったことでもよく知られています。>
摺扇・扇の展観では、それ特有の表現様式、空間の妙味や趣きを味わうことができると思います。画を描き終わった後の作者の心情や余韻がそのまま画賛の書にのりうつり、その両者が一つ紙面の中で互いに呼応し、響き合う姿は格別なものがあります。
清朝末期、海上派の鬼才たちが残した書画の世界をお楽しみいただき、ご清鑑下さいますれば幸いでございます。
平成17年新春
謙慎書道会理事長 新井 光風