傅山展開催にあたり
謙慎書道会は昨春第八十回展を迎え、この慶事を祝し西川春洞書展、記念式典、謙慎書道会史編纂という記念事業を行ってまいりました。その最後を飾るべく標題の「傅山展」を開催させて頂きます。
近年、董其昌・王鐸・張瑞圖という明中期から明末清初に焦点を当て開催いたしました恒例の名品展は、お陰様により鑑賞者の皆様に好評を博しました。日本のみならず中国・台湾においても、その展観は話題となったようです。この明代の流れを汲んだ本展におきましては、展観を海外収蔵作品に絞ることで、過去に類を見ない「傅山展」を企図した次第です。奇しくも会期中には、東京国立博物館において「顔真卿展」が開催される運びとなりました。傅山と顔真卿の関係は浅からぬものであり、併せてご鑑賞頂くことで更に意義深いものとなるでしょう。
傅山については識者により多くの研究がなされ、時代背景や来歴、人物像も紐解かれています。碩学の傅山は書においても傑出した作品を遺していますが、多くの方が頭に浮かべる書は連綿を躍動させ感情の赴くままに筆を揮う行草作品ではないでしょうか。その点で一見同じよう見える王鐸と傅山は度々比較され論じられてきました。両者を本質的には全く異なるとしたうえで、青山杉雨先生は「王鐸の書はうまい字である。然し傅山の書はいい字である・・・見るものを逆手にとりながら、自らの幻想の中にぐいぐいと引きずり込んでいく魔法的な迫力、それが傅山の芸術であるとしたらそれは本当に素晴らしいものと言っていいだろう」と明清書道図説の中で述べています。傅山自身は書法に関する訓戒で「寧ろ拙なるも巧なることなかれ、寧ろ醜なるも媚なるなかれ、寧ろ支離なるも輕滑なることなかれ、寧ろ直率なるも安排するなかれ」と記し、真率な態度と、作為や技巧よりも自己の内面を磨いた精神性こそが肝要であると説いています。
作品を通観していくと、自由奔放で不可思議な魅力を放つ連綿草とは対照的に、自身の訓戒を裏付けるように真摯に書と対峙する姿が浮かびます。王羲之系統の臨書、鍾風の小楷、顔真卿の重厚さを顔氏家廟碑や争座位稿から倣い多くの法を参酌した跡が表出しています。学書は晋唐から黄庭堅、趙孟に及び、その臨書作品も伝えられています。特筆すべきは、当時流行ではなかった篆隷に対する姿勢です。全二十六段から構成される巻子、「嗇廬妙翰」は各体が用いられており、傅山の求道の一端が垣間見えます。こうした中から傅山は篆書に行草意を含ませる、所謂草篆と呼ばれる稀有な筆致を遺しています。詳細は東京大学東洋文化研究所の板倉聖哲先生に玉稿を賜りましたので、精読頂ければ傅山の深淵なる世界を窺い知ることが出来るでしょう。また、丹楓閣記については中国より北京の劉正成先生、山西省書法家協会名誉主席の林鵬先生に解説頂いております。先生方にはこの場を借りて厚く御礼申し上げます。
本書では展観作品二十点に加え、傅山の息、傅眉の作品を含めた日本収蔵作品二十一点を併せて収載しています。傅山書法を学ぶ一助になれば幸甚に存じます。
最後に本展を開催するにあたり、多大なご協力を賜りました台北・何創時書法藝術基金會様をはじめ収蔵家の皆様、関係各位に深甚なる謝意を表する次第です。
平成31年新春
謙慎書道会 理事長 高木 聖雨