特別座談会「謙慎書道会70回記念展に寄せて」

西川寧、小林斗アン両師の実証主義

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内藤 富卿
内藤 富卿
-- いま篆刻の話が出ましたが、昨年逝去された小林斗アン先生の思い出などについて内藤先生、お願い致します。

内藤 私は昭和36年に小林先生に入門しましたが、当時は無名印社という名で生井子華先生と小林先生が指導に当たっておられました。先生もお若かったせいか非常に優しかったのが印象に残っています。謙慎の初出品は今も忘れもしませんが、両先生に見ていただいた「一竿風月」と「翰墨游戯」という作品でした。ご承知のとおり小林先生は厳格なお考えの持ち主で、篆刻という方寸の世界においても「法」や「格」というものを非常に重視されました。作品づくりにおいても、一つのものに固執するのではなく、広く学ぶことを常に力説されておられました。

和中 簡堂
和中 簡堂
和中 私は34回展からの出品でこの中では一番の弱輩ですが、小林先生に師事したのは先生が54歳の時でした。篆刻におきましてもやはり謙慎の基本である鍛練主義で厳しい指導を受けました。夏・冬の休みや帰省の度に模刻の課題が20顆以上も出され、そうしたご指導によって古典への眼を開かせていただいたと思います。新井先生がおっしゃられた古典に目を向ける、古典を学ぶ、古典に立脚するという謙慎の理念を叩き込まれたと思っております。

梅原 新井先生もそうですが、私も日本芸術院賞のときの推薦者になっていただきました。篆刻という古文字を研究される立場から文字学を非常に重要視され、書家は文字を疎かにしてはならないという信念で一貫されたと思います。


田中節山書
田中節山書
新井 誰でも自分の書いた作品に責任を持つためには周到な下調べが絶対に必要だと思います。そして、これだけは自分でやるしかありません。西川先生、小林先生に共通する点は徹底的な文字考証、下調べの上にすべての作品が展開しているということです。出来上がった作品が富士山の頂上だとしたら、下調べという膨大な時間が裾野まで広がっているのだと思います。見えているものはほんの一部分であり、あらゆる要素が最後に集約されて作品が生まれてくる。そういう意味では作品をつくる怖さを感じますし、書というものはつくづく恐ろしいものだと思います。

田中 私どもの書象会は主に北魏系の楷書を書いていますが、あるとき、篆書の作品を出品した方がありました。後日、小林先生にお会いしたとき「この間の選考会に出ましたが、あの作品はもっと基本の勉強をしなくちゃ恥ずかしいですよ」と、厳しくも恩情溢れるご指導をいただいたのが思い出されます。
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