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生誕160周念記念 呉昌碩書画展

呉昌碩書画集呉昌碩の魅力呉昌碩年譜
はじめに

 清朝最後の文墨界の巨星、呉昌碩の生誕160年を数える年にあたり、謙慎書道会では、小林斗アン先生の御指導の下、呉翁芸術を回顧すべく、私共に最も身近な清朝末期という中国芸業の変貌期に開花した巨匠の書画を、その揺籃期30代から最晩年84歳までを通観して頂くよう企画しました。呉翁芸術を最も早く我国の書芸愛好家に紹介されたのは、長尾雨山・河井セン廬両先生であり、大正11年大阪高島屋での展観で、我国の書画愛好家の中国画観を一新したほどに関心を高めました。
 戦後、書作者に呉翁の書・画・篆刻を紹介し、それを習得する新人を育成することに意を傾けたのは、青山杉雨先生です。1956年、先生編纂の書道グラフ4号は呉昌碩作品集として、呉翁逝世30年の1年前に刊行されました。そのような影響もあり、謙慎書道会は呉翁賛仰の気風が強く、その風を背景とする作品が多くなりました。
 缶翁、呉昌碩生誕160年。そして、その没後76年にもなるのですが、この巨星の風を慕う人、学ぶ作家は少なくありません。しかし、この芸術を乗り越えて新風を送る作家は現在のところ出ていません。全く天才と称されるものは100年に1人出生するということを信じるのならば、没後76年、まだ約30年の希望を持って、21世紀の天才的文人が登場するであろう夢を抱くことも楽しいのではないでしょうか。この偉大な作家の文墨を楽しみ乍ら、こんな思いのひとときを持って頂けましたなら、企画担当者一同喜びとするところです。

   平成16年新春
謙慎書道会理事長 成瀬 映山    

呉昌碩 [道光24年(1844)〜中華民国16年(1927)]

浙江省安吉県彰吾村に生まれる。名は俊、俊卿。
字は香補、倉碩、蒼石、昌碩。号は缶廬、老缶、苦鉄、大聾などがある。
清朝末期から中華民国初期の芸苑において活躍、中国最後の文人と称される。
幼少より金石を学び詩書画篆刻を能くし、自らの芸術について「篆刻第一、書第二、画第三」と述べている。
篆刻は浙派、摯翌フ作風の影響をうけ、晩年には秦漢の金石を基にした新境地を開いた。
書は兪エツ、楊見山に師事し、中でも楊見山には強く傾倒しており、終生「藐翁(楊見山)は吾が師」と仰いだ。
特に篆書作品は生涯に渡って学んだ「石鼓文」を基調とした独自の書風を確立している。
また、画は海上派の任伯年に学び、若くして画名をあげ、書学においても金石書画の収蔵家として名高い呉雲、潘祖蔭、呉大澂らと交わり、高い学識を得ている。
1913年に発足した西レイ印社の初代社長に就任、書画篆刻の学術的研究を推進するとともに後人の育成にも尽力した。
呉昌碩の魅力 呉昌碩、その魅力の本質に迫ります。
呉昌碩年譜 呉昌碩の生涯を記した年譜がご覧になれます。
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篆 書 詩 (39歳)   篆書 去思図 (41歳)   菊花水仙図 (47歳) 臨石鼓文四屏(54歳)
             
     
牡 丹 図 (55歳)   臨庚羆ユウ銘 (55歳)   臨 石 鼓 文 (60歳)   行 書 詩 稿 (67歳)
             
     
行 書 詩 (69歳)   臨 石 鼓 文 (75歳)   行 書 詩 (77歳)   行 書 詩 (83歳)

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